I’m pregnant again.

きょうで、13w3d。

このたび、3人めの赤ちゃんを授かりました。

本当に正直な気持ちを、あえて誰しも目に触れることができるここに、記しておきたいと思う。

妊娠が分かった時、とまどい以外のなにものでなかった。あと2ヶ月で息子の入園が控えていたし、これからつわりの最中で入園準備をしなくちゃいけないこと、娘はまだ授乳中。とてもじゃないけど、今の自分には「産めない」と思った。それに、今のような社会環境と状況で、2人のこどもたちを東京で育てていることに大変さと不安を感じている中で。とても、今の自分に、3人のこどもたちを育てて行く自信が全くなかった。単身赴任中の夫は、電話の先で必死で「産んでほしい。いっしょにがんばろう。」と言ってくれたけど、「ごめん。」しか、言えなかった。

産院の初診に行った、内診台に上がる自分の脚が震えていた。「これ、赤ちゃんだね。」とモニターに映し出された、ちいさなちいさな存在。もう、しっかり動いていた。そのちいさな動きを見て、もうたまらなくなって、涙が止まらなかった。きっと、これは必然的なことというか、そういうことなんだと思った。

そのときから、ずっと自分の中でくりかえしているフレーズ、あの歌のあの言葉。

「泣きながら産まれてきた僕たちは、たぶんピンチに強い。」

それは、こどもたちも。そして、じぶんたちも。

正直、今も、自分が3児の母になれる器なのか、自信はまったくない。でも、「だいじょうぶ。もういっかい、がんばってみ。」って、神様が授けてくれた、ちいさないのちなのだと思う。「泣きながら産まれてきた僕たちは、たぶんピンチに強い」のだから。

だから、もういちど、がんばって赤ちゃんを産もうと思う。

 

 

 

10月。秋に、もうひとり、あたらしい家族が増えるよ。

 

 

 

 

 


Bonne Année!

遅ればせながら、年が明けました、2012年。ことしもどうぞ、よろしくお願いいたします。2011年は、一言では語り尽くせぬほど、いろいろなことがあった1年でした。それゆえに、すこしでも多くの人々に、すこしでも希望の光が見えますように、そう思わずにはいられない、2012年のはじまり。 今年の年賀状。使う写真はある程度決まってたものの、デザイン、その他もろもろで迷い、迷って、ここ数年で1番苦労した感が。。。ただ、わりと最初の段階から決めていたのは、「Happy New Year」ではなく「New Years Wishes」という言葉を使う、ということ。「Happy」という言葉は、わたし個人的には使う気持ちにはなれなかった。代わりに「Wishes」。すこしでも前へ、すこしでも希望がもてますように、せめてもの気持ちを込めて。 年末年始は、例年通り夫の実家に帰省していました。いろいろあり、いつもよりも短い滞在にはなったんだけれど、ひさびさに会ったじいじ、ばあばに、たんまりかわいがってもらえ、息子もご満悦。最近ペットボトルのものがそのまま飲めるようになった娘は、ひたすらペットボトルを所望。 年が明けての、最初のお楽しみ、ガレット・デ・ロワ。今年は、かわいいモノトーンのデリバリー・バンのフェーヴにひとめぼれして、PAULのものに。これ、ほんとかわいい。クリスマスに息子がサンタさんにもらった、Bonpointのフォルクスワーゲンと並べると、親子みたいで、これまたかわいいの。 ということで、王様は息子でした!ガレットそのものも、シンプルな外観に、甘過ぎないアーモンドクリームがすごく好みで、なかなかおいしかった。 こちら、さすがにガレットはお預けくらった娘。しかし、兄と妹、よく似た横顔。 息子も3才8ヶ月、4才が見えてきた。娘は、1才3ヶ月、自己主張がますます強い。日々、てんやわんやしてるけど、たのしいし、しあわせだなあと、ふと思う。より日々をていねいに過ごしてゆく、今年の目標です。                


Joyeux Noël!

ちょうど3連休だった、今年のクリスマス。去年と違ったのは、息子がクリスマスというものを理解して、まいにち、まいあさ、アドベントカレンダーの引き出しを開けるのを楽しみにして、過ごしていたこと。サンタさんの存在を知って、プレゼントを持ってきてくれる、素敵なひとだということを理解したこと。それだけでも、息子のこの1年の成長を、ひしひし感じながら、過ごした12月だった。 25日の朝、ツリーのもとに折り重なるように置かれたプレゼントの山を見つけたときの、ふたりの目のきらきらっぷりといったら。   サンタとしても、イベントごとに必ず絵本を数冊追加するんだけど、今回はこれ。これはほかにも買われたおともだちが数人いたね。凝ったしかけ絵本にもひかれたんだけど、クリスマス的な絵本として、シンプルなこれが、いいなあと思って。横長の形も。 それとこれ。両方とも、ずっとほしいなあと思っていた2冊。レオ=レオニのは、絵本の読み聞かせに興味が出てきた娘に、内容のシンプルさがちょうどよかったし、マレーク・ベロニカのは、語彙はめきめきと増えていっている息子に、言葉の多さがまたちょうどよかった。   ただ今年のクリスマスは、ただただ手放しにうれしいね、たのしいね、という気持ちになれなかった部分を否定できない気がする。 25日の夜、ちょうど震災を振り返る番組を観ていて、その気持ちをより確信できたような気がした。それは、宮城県の東松山市で被災した、3人の男の子とおかあさんの話。あっという間に津波にのまれて、6才の長男の手を引いて、3才の次男と2才の三男を両手に抱っこして、氷水のような津波の水の中を必死で歩いたのだという。体力的にも限界で、絶望感に打ちのめされつつあったちょうどその時、流れてきた冷蔵庫を見つけた3才の次男が、「ぼくはいいから。ここで待ってるから。(三男)くんを助けてあげて。」と言ったのだという。身も心もちぎれるような思いで、次男だけその冷蔵庫の上に乗せて残し、長男と抱っこした三男だけを連れて助けを呼びに行ったおかあさん。奇跡的にも、ちょうど逃げてきた若い男性に出会い、その男性が残してきた次男を助けてきてくれたのだそう。 それを観ていて、思わず涙が止まらなかった。その次男くんと、うちの息子は同じ3才で、ただ他人事のようにはとても思えなかった。思わず、自分の息子を重ねてしまった。 家族みんなで、健康にいっしょに過ごせること、これ以上の幸せなんてないと思うし、そう思うと同時に、被災地や原発近辺に住まわれていた方々にこれからもずっと常に寄り添う気持ちを忘れることはできない。 家族みんなで、4人で過ごした2011年のクリスマス。それがどんなにしあわせなことか。ただただ、それを実感したクリスマス。


Lilac in winter

先日、ずっと会いたいね、と言っていたひとに会えた。そのひととその赤ちゃんに。最初のきっかけは、どんなだっただろう。でもすぐに打ち解けた気がするし、共通点も多かったし、わりとすぐに深い話ができてしまって、とても縁を感じていて、こうして実際に会うのも、なんだかごく自然な流れだった気がしている。 春生まれの、春を象徴する名前の8ヶ月のLちゃんと、そのおかあさんのSさんと。驚いたのは、あれだけ人見知りの激しい息子がほとんど人見知りせず、すぐに打ち解けたこと。同じような小さいこどものいるおかあさんでも、うちの息子はいつもだめだったんだけどなあ。きっとSさんとLちゃんのもつ空気だとかにおいだとか、息子にとってはとても居心地いいものだったんだと思う。なぜなら、わたしもそうだったから。 つかまり立ち、はいはい真っ盛りのLちゃんは、だっこするとまだまだふわふわんで、なんだか壊れてしまいそうにフラジールで、でも笑うとまだ歯の生えてない上の歯ぐきが、なんとも愛らしかった。華奢で色が白くて、聡明な美人さんのSさんは、すぱすぱっと小気味いい言葉の選び方が聞いているこちらも気持ちがよかったな。 いただいたプレゼントも、すてきなアレンジメントのお花に、うちのこどもたちのイニシャル入りの巾着の中に、小さなくまの型のしゃぼん玉と、手作りのヘアピンたち。センスがよくて、場の空気をちゃんとよめる人ならではの素敵な贈り物に、ため息つきっぱなしだった。いただいたしゃぼん玉でさっそく遊ぶ、息子。 女同士。 「なにする?」「なにしてあそぶ?」「とりあえず、チップスターの空き箱、味見してみる?」 なんて会話してんのかしらーん。 3人をまとめてみてる、うちの息子。なぜかこんなところで、リーダーシップとってみてます。初対面で、それぞれ月齢も違う3人のこどもたちだったけれど、想像していたよりもずっと仲良くなれ、一緒に遊んでくれた。それは、わたしにとっては、うちのおふたりさんの成長を感じたし、息子に関しては、ほとんど人見知りしなかったことにむしろ感動したし、元からあまり人見知りしない娘については、やっぱり肝が据わってる、と再確認できた。こども同士で遊ぶって、とても大事なこと。こどもにとっても、親にとっても。それをこの日は改めて感じたのでした。 昼間とはいえ、お昼ごはんのあと行った公園では、風がやっぱり冷たくて、手がかじかんだけれど、それでも気持ちはとっても温かかった。それは、ただ初めて会うひとに会った、ということ以上のことを感じられたから。 5人で過ごしたあの時間と空気を、今また思い出すだけで、なんだか口元ほころんじゃうんです。